マッカーサーGHQ最高司令長官

11月23日、進駐軍の管理下に置かれていた神宮球場に33人のユニフォーム姿の選手が集結したのです。
これが東西対抗戦の始まりといわれています。
巨人・産経・セネタースを東軍に、阪神・阪急・近畿日本・朝日を西軍にしての、いわばオールスター戦になっています。
この対抗戦の盛り上がりというのは、戦後プロ野球の火付け役として非常に重要な地位を占めているものです。
対抗戦におけるヒーローというのは、セネタースの新人選手である青バットの大下弘と、巨人の4番打者赤バットの川上哲治。
大下の滞空時間の長いホームランと安打製造機と呼ばれた川上のシュアーなバッティングは、野球ファンを魅了し、プロ野球の新しい時代を築いて行ったのでした。
青バットの大下
赤バットの川上
1949年、野球人気は飛躍的に向上しました。
この年、大阪の藤村富美男は、物干し竿と呼ばれた特大のバットで46本塁打を記録し(その前までは25本が最高)、野球の醍醐味たるホームランを強烈にアピールしたのでした。
短期間でこれだけホームラン数が伸びたのには、もちろん技術の向上があるが、一番大きいのは球質の改善もあります。
技術的進歩によって、飛ぶボールが開発された。
また、アンダースローやスライダーの使用による投手陣のレベルアップも、人気向上の要素として見逃されてはならない。
豪快な藤村の物干し竿打法
1960年代のプロ野球は、王、長嶋という不世出の大打者を擁した巨人軍のV9達成に尽きたのです。
長島の勝負強い打撃と華やかな守備は、後楽園球場を沸かせましたね。
かたや王は、独自の「一本足打法」を編み出し、世界のホームラン王として名をとどろかせたということです。
派手なプレイと溢れるばかりの闘志を表にだす長島に対し、王はストイックなまでに自分の打撃技術の向上を目指したのでした。
昭和の野球史は、この2人のスーパースターを除いては語れないでしょう。
二人は、高度成長期の日本の強さ、若さ、そして活力の具象です。
言い換えれば、時代が彼らの出現を求めていたとも言えるのです。
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練習を始めるのに時期は関係ないということです。

  • 竹内太志※バドミントン
  • 「どうして、わたしはバドミントンが上達しないのだろう?」と悩んでいるのはもうおしまいです。
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    2012年1月19日 | Posted in: 日記 | コメント非対応

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